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コラム

2025.10.15

本質を見極める、ということ~往年の名歌手、古澤淑子を巡って~

 30年ほど前、2軒北隣の古澤家からいただいた本「夢のあとで フランス歌曲の珠玉 古澤淑子伝」を、久しぶりに読み返した。
 旧例幣使街道金崎宿(現栃木市西方町金崎)かつての本陣、古澤家。古澤淑子の父親、栃木市の先人として山本有三らと並び名を連ねている古澤丈作が生まれ育った場所。
 私の結婚式では、この古澤家の方にウェディングドレスを縫っていただき、それ以来、親しくお付き合いいただいている。その当初から、古澤家の雰囲気、気高さのようなものに、私は惹かれていた。
 本を読み返すうち、どうしても古澤淑子の歌を聴きたくなり、ネット検索したところ、かつて都内にあった古澤淑子のスタジオでライブ録音したテープから制作された「古沢淑子ふたたび~フランス近代歌曲集~」(2019年作)の存在
を知り、即購入し、聴いてみて驚いた。
 凛とした美しさ、気高さ。それでいて繊細で表情豊か。辛口ながら芳醇な香り
と深い味わいのワインのような。
 古澤淑子は1916年(大正5年)満州・大連で生まれ、1930年東京へ、1937年パリへ留学。1940年~1945年、戦時中のフランス、ドイツ、スイスで壮絶な逃避行を経験している。1944年パリで、戦後ジュネーブでのリサイタルは、大好評で、新聞でも絶賛される。1952年帰国し東京に住む。1958年ドビュッシー:ペレアスとメリザンドの日本初演(メリザンド役)を成功させる。この時の指揮者ジャン・フルネは、メリザンド役にふさわしい長所をすべて備えており、感受性が非常に豊かで、詩的センスと優美さにあふれる芸術家、と絶賛している。サティ、セヴラックなどの歌曲もいち早く日本に紹介する。桐朋学園大学や東京芸術大学、フランス歌曲研究会などで、後進の指導、及びコンサートを開催。1975年フランス サヴォァ・エヴィールへ移るに当たり、音楽家としては引退。2001年死去。
 ドビュッシーの薫陶を受けたマダム・クロワザに、フランスで徹底的に教え込まれたことは、「言葉は正しく発音されて初めて意味を伝える。正しくとは、深く吸い、送った息を声帯にピタッと当て、そこで言葉が正しく発音されればよい。」しかしこれは、大変なトレーニングであった、と。そして詩句のひとつひとつの綴り、その音のありよう、その意味、その表情、強弱を見極め、心情を託すなどというものではなく、あらゆる知識と理解と感受性を総動員したうえで到達できるかどうか、という審美学的探究を促された。 
 芸大生の時から古澤淑子のファンであった指揮者 若杉弘によれば、古澤淑子は1950~70年代に「フランス音楽の背骨」を日本にもたらしてくれた。そして、この背骨があることによってのみ香り立つものを残してくれた、とのこと。 
 音楽評論家 遠山一行は、古澤淑子が日本と音楽を〝捨てた〟その年齢に達してみると、いま音楽が置かれている状況は極めて悪い。・・・見せかけの音楽の繁栄の裏で大切なものが失われている、と。
 古澤淑子は、文化的環境においても、経済的にも、大変恵まれて育ったが、それを最大限に活かすことが出来たのは、類まれな感性と、本質を見極める姿勢と、背筋に1本筋金が入った真摯な生き方故と思われる。
 経済優先の現代にあって、時代に逆行する姿勢ではあるが、西方音楽館も音楽
の本質を見極め、それを伝える場となっていきたい。