モームが生涯を通じてあれだけ多くの物語を書き残したその根源的本質にせまって見よう。まず身の回りの情報収集力があげられる。
そしてその情報収集力に一番必要な能力が、観察力であろう。更にそれらの観察したデータをいち早く他に伝わるようにイラストレイトする事に彼モームは幼い頃から長けていた。イラストレイトするって? つまり見る者が、聞く者が、そして読むものが解りやすい方法で素早く表現できる能力である。読んだり、見たり、聞いたりして、その内容が身近なもの、関心のあるもの、生活に関連するもの、あるいは究極の困難を凌げるもの、防げるもの、対抗できるものに関与するとなれば、それはとても有効な情報となって受け手に伝わり、受けた側は各自のモードル機能を発揮して役立てるという効果が得られるわけである。
そう、このモードルという言語に関して既にこの稿で何度か使ったので、その語彙の持つ意味を今回は少し詳しく述べてみる。これはサドベリー・ヴァリー自由学校の創設者、ダニエル・グリーンバーグ氏の造語である。
つまり、彼の著書「自由な学びとは」(大沼安史訳)のなかで、この本の主体的論説に入る第2章に於いて余すところなく延べている。
要するに、人は誰でも何かの情報に触れると咄嗟に脳内活動に於いてその消化分析が始められ、そのプロセスによって勝ち得た自己独特の解釈とそれに依る対外発信が用意される事になる。
この独自の発信要素を彼グリーンバーグ氏は「モードル」と名付けた。この事の基本理念は所謂、今日教育界で盛んに提唱されている「リベラル・アーツ」の原点なのだ。独り一人の学習者は自分で吸収処理できたデータを根拠に自己表現の最たるものをまとめる力。纏めたものを発信する術、これを身に就けることが教育の本質であるという事になる。
我らがモーム氏はこれら自己表現の術、聞かせる、読ませる、見せるという三つのイラストレイト手段の内のあとの二つに長けていたために最初の一つ、聞かせる事に於いては、自分の持つドモリ癖がコンプレックスとなってあまり発揮できなかったにも関わらず、文章で、演劇で、読ませ、見せして大成したわけである。いわば、人間が生きるために吸収する栄養分として、このイラストレイトする力が問われる訳であり、これが今世紀後半に進む教育基本理念となるのであろう。 ―続く―