随筆家であった亡き母は五行川をこよなく愛し、何編かの宝石のような美しいエッセイを残したが、私には母のような繊細な文章は無理なので、五行川と題するエッセイは避けようと思っていた。だが、巨大ウナギと「かんがりっくみ」は、1年に2、3度夢に出てくるので、書き残しておけ、というのが天の声だと得心し、拙文をしたためる事に決めた。
60年前、大雨の度に五行川は氾濫し、床下浸水になる事があった。ただ荒町の実家では、床上まで水が来ることは無く、氾濫の度に、消防団の方々が、ジャムやマーガリン入りのコッペパンと、塩おにぎりゴマおにぎりを沢山持ってきてくれたので、やや不遜だが、床下浸水は私には有り難かった。特にゴマおにぎりは、何故か格別に美味しくて、6、7個を軽くたいらげ、ふうふう言いながら横になっておなかをさすっていると、今は亡き父母は呆れながらも「としぼは食いしん坊の大将だなあ」と言って声を出して笑ってくれた。
氾濫が度重なったためか、自治体は、曲がった五行川を真っ直ぐにし、川幅を広げる大工事を始めた。曖昧な記憶だが、数年かかったような気がする。工事が進んで五行川が真っ直ぐになった時、曲がった部分の細長い底浅の沼地が、更に2年ほど取り残されたままになった。もちろん小学入学前の我々子供にとっては、その浅地は格好の遊び場になったのは言うまでも無い。
隣のひさおちゃんに、「あそぼー」と声をかけたら、悲しくも「あとでー」と言われたので、午後4時頃、一人さびしく底浅沼地に行った。その沼地の一番下流の水がほとんど無い所に、動かない真っ黒な巨大ウナギがいたのだ。太さ10センチ、2メートルにもなろうかという、「やまたのおろち」のような巨大ウナギが本当にいたのだ。実際の大きさは定かではないが5歳の子供には、確かに大蛇のように思えた。驚きと感動の余り、身動きがとれないまま、20分ほどウナギと無言で対峙していると、二十歳前後のおにいちゃんが通りかかったので、思わず「で、で、でっかいウナギ!ヘビみてえの!」と言ってしまった。するとそのおにいちゃんは、「なんだこりゃー、すげーでっけいな、おめ、ここで見張ってろ!」と言って5分ほどして、洗濯用たらいを持ってやって来た。どう捕獲したら良いか少し考えてから意を決して、上流の方からたらいを押し進め、無事ウナギをたらいに入れた。帰り際に、「蒲焼きにして半分持ってきてやっかん、おめ、そこで待ってろ」と言った。黙って立ち去るのは悪いと思い、社交辞令のつもりでそう言ったのだろう。もちろん私は待った。暗くなるまで、7時頃まで待った。だが、子供心にも、蒲焼きは来ないと解っていた。社交辞令だと解っていた。今思えば待っていた2時間は、巨大ウナギと遭遇した感動を鎮める時間であったのかも知れない。だから、この60余年、巨大ウナギ遭遇事件に関して、あのおにいちゃんに対する恨み、悔しさを感じたことは一度もない。
7時を過ぎた頃、2歳年上の兄が、「としぼ、何やってんだ、もうごはんだぞ」と言って、迎えに来てくれた。あの日、あのおにいちゃんのご家族は、羨ましくも蒲焼きをたらふく食べて、全員横になって、ふうふう言いながらおなかをさすっていたのだろうか。
翌年の夏、近所の若者と子供達が20~30人集まって、その沼で「かんがりっくみ」を行った。「かんがりっくみ」は、私がそう言っているだ
けで、正しい表現かどうかは解らない。記憶違いか、子供言葉か、方言なのか、あるいは「灌漑汲」の変音か。
「かんがりっくみ」とは、上流と下流を、石や土でせき止めて水をくみ出し、魚を一網打尽にする漁法である。夢に出てくるのは、必ずと言って良いほど、川水が少なくなって、鯉、鮒、ナマズ、ウナギ等の背びれや背中がぴかぴかと黒光りしながら躍動する場面だ。この高揚感、感動は、狩猟民族であった古代の民の言い知れぬ喜びが、我々現代人の赤き血潮の中に、未だ脈々と残っているからなのだろうか。
「かんがりっくみ」にはリーダーが一人いて、年齢や働きに応じて、沢山の魚を、平等に神業のごとく分配した。私は、10個ほど石を積み、30回ほど水をくみ出しただけなのだが、「鮒」、「いかり」、「にが」など、30匹ほどの小魚をバケツに入れてもらった。獲物の分配に関しては余りに公平であったため、誰一人不満を口にする者はいなかった。分配したリーダー本人の「たらい」には、貴重なウナギは入っておらず、心なしか取り分が少ないように思えただけだった。帰りがけに、そのリーダーが、小魚しか入っていない私のバケツを見て、「おれ、ナマズだめなんで、ほうず、これ持ってけ」と言って、ナマズを一匹私のバケツに入れてくれた。ひげが一本取れていて、頭に白い傷のあるお年寄りのナマズであった事をうっすらと記憶している。家に持ち帰り、父に焼いてもらったのだが、ナマズは脂で出来ているのかと思えるぐらい油がでて、小さくな
ってしまった事も覚えている。
何回となく季節が移り変わり、年を重ねた今となって、鬼籍に入る前に、「かんがりっくみ」愛好会を創り、今一度、今一度だけでも「かんがりっくみ」をして、あの黒くうごめく魚達の躍動感、生命観、共生感を感じたいと、切に切に願っているのだが、もはや叶わぬ夢なのだろう。
そう言えば、そのリーダーは、かの巨大ウナギのあのおにいちゃんだったのだろうか。ウナギを一時に食べ過ぎて、ウナギやナマズが苦手になったのだろうか。いや、これも今となっては、もはや永遠の謎だ。
ヘルマンヘッセは「青春は美わし」の中で、徹夜して明け方、川辺を歩くと、人も草も川もすべては根底で繋がっていると書いたが、本当にそうだ。この広大無辺な宇宙の中で、人も魚も草も水も石もすべて、同じ宇宙の生命体として共生しているのだ。「かんがりっくみ」をしてみれば、すぐ解る。
●渡辺私塾会長 著述家 渡辺美術館館長 渡辺淑寛
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