近くのスーパーの買い物の行き帰り、スーパー内に有る百円ショップの店先の薔薇の造花が余りに鮮やかで、幾度となく目を奪われた。以前は、一目で造花だと解る粗雑感が有ったが、今は違う。特に色彩が年々洗練され、多様な色合いを持ち、遠目では造花だと解らない程だ。大きく言えば、人類の科学技術の発達の恩恵であり、小さく言えば、ポリエステル等の加工・着色技術の進歩の賜なのだろう。
或る日、私の視線を奪うその魅力に抗しきれず、思わず10点程買ってしまった。その10点の行き先は、勿論、小汚いという悪評の当美術館である。その10点を美術館の一隅に飾ると、その場所が明るく光り輝いて見える。私の心に火が付いた。もうどうにも止まらない。その日以来、毎日のように市内の百円ショップ4店舗を回りに回って、いつの間にか300点を優に超え、美術館は、薔薇の造花園なのかお花畑なのか解らないようになった。だがそれはそれで良い。入場無料、土曜日3時間のみの開館、来館者様に版画や本のプレゼントなど、当美術館はユニークさが特徴なのだから、もう一つユニークさが増えたと思えば良いだけだ。
さて此処で留意すべき事が2点有る。1点目は、薔薇の造花と言っても百円ショップの薔薇の造花に限っての話だ。アートフラワーと言う、もっと精妙で高価な造花芸術の存在も承知している。2点目は、今此処で造花が生花を凌駕しつつあるなどと言う気は毛頭無い。季節の度に再生し、脳の奥まで忍び寄る香りに満ちた薔薇の生花と、無臭の造花を比べるのは酷というもので比較にもならない。だが造花にも多くの長所が有る。手入れが楽で長持ちで、コストも安く生活の中に取り入れ易く、茎にワイヤーが入っていて形状が可変で、実際に存在しない色や形の薔薇まで創れる。
造花の歴史は意外と古く、紀元前2千7百年頃、エーゲ文明の王墓に、青銅の造花が添えられていたという説も有る。日本では、10世紀初頭の古今和歌集445番に、「花の木にあらざらめども咲きにけり」と紹介された、木を削った「削り花」という造花が有り、11世紀初頭の紫式部日記第二章15では「心葉」という名の造花が記されている。お葬式に、沢山の生花や造花を飾るのは、巡る季節で再生し花を咲かせる花々が、再生復活生まれ変わりの象徴であるからなのだろうか。
先日スーパーを出た所で、「あら、薔薇、綺麗」と、うら若い女性に声をかけられ、「良し!」思ったのだが、何のことはない、造花を生花と見間違えて思わず口にしただけであった。やはり最近の造花は、百均の薔薇でも侮れない。3百点の造花は、版画1点の価格で購入出来、その3百点で、小汚い美術館が小綺麗とは言えないまでも不思議な美術館に生まれ変わる事が出来た。
是非当美術館に来館なさり、新収蔵の恩地油彩画大作と、小さく顔を出している薔薇の造花達に優しい眼差しを送って頂ければ幸いである。
●渡辺私塾会長 著述家 渡辺美術館館長 渡辺淑寛
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