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コラム

2026.03.13

教育・文化芸術・科学コーナー SLの走る町真岡〜文明論の中で〜 

 芳賀の大地を幾何学模様の鎧をまとい、漆黒のSLが走る。真岡鉄道の鉄路の上を、巨大な躍動する漆黒のSLが走る。芳賀の大地に多くの鉄道ファンが集い、鉄の雄姿の疾走を熱く心に刻む。
 スティームロコモウティブという名の蒸気機関車SLの魅力とは一体何なのだろうか。ピラミッドは微動だにしないというのに、動輪を煌めかせ、白煙と黒煙と汽笛を自在に操り、躍動に躍動を重ねる芸術作品だと言うのか。それとも年輩の我等に、豊かでなかった幼児期の苦渋を、あの油と石炭の臭いで想起させてしまう郷愁そのものだと言うのか。いずれにしても、SLの走る町真岡に住む我々は、この底知れぬ存在感で我等を圧倒し、畏敬の念さえ禁じ得ないあの黒い巨人の正体を、輪郭だけでも捉えておかねばならない。
 昭和9年萩原朔太郎「氷島」の中に、「帰郷」という詩がある。朔太郎が妻と離別し二人の娘と前橋に帰る悲しみの舞台はSLの夜汽車であった。朔太郎は、苦渋、寂寥、暗澹、絶望の舞台背景に夜汽車を使ったが、私はまだSLと文明論とを連結できていない。
 米国の小説家ウィリアム・サローヤンの「人間喜劇」の中に「ユリシーズ」という短編がある。少年ユリシーズは、外の世界を認識する自我に目覚め、最初に地中の地ネズミに驚嘆し、次に頭上の空飛ぶ鳥とその歌声に歓喜する。その後、貨物列車が走る音を遥か遠くに聞き、大地が揺れるのを喜ぶ。少年は大地と様々な生物を受け入れ、次に文明の象徴である蒸気機関車を嬉々として受け入れる。蒸気機関及び蒸気機関車は、人類史の自然な発展の中で、必然的作品であり、不可避の所産である。そして人類史は不可逆史であり、後戻り出来ない。
「自然に帰れ」と言う思想家も居たが、日本国民の多くが自然に帰る事など、北海道に大移動する事などもはや不可能だ。人類は不可逆史の中で自然と調和して進化するしかない。我々は、SLを拒絶するのではなく、少年のように、SLを、長い人類史における「勝利の旗」と見なすべきである。
 「苦渋の郷愁」などと全く無縁な若者が、SLに心躍るのは、巨大な漆黒の動く芸術作品としての圧倒的存在感に加えて、自らの血潮が、文明史の中の「勝利の旗」を今見定めたいという無意識の強い衝動に駆られるからに違いないのだ。
 真岡にはこの「勝利の旗」が3両ある。未来永劫へ続く人類史、文明史のなかの一里塚、道標が3両ある。C11325、C1266、9600という名の輝く漆黒の3両が真岡にはある。人類は、道に迷ったら、ピラミッドを見れば良い、SLを見れば良い。SLの前で屹立し、心静かにSLと感応しあえば、次の事が感得出来る。
 人類はいつの日か新たなエネルギーを発見し、ロボットが人間に換わって多くの労働をし、いつの日か暴力、差別、戦争、貨幣の無い社会を築くであろう。そのような社会では、国家が国民に衣食住にまつわる全ての物を無償で無尽蔵に提供するだろう。国民もボランティア活動、芸術活動にいそしみ、一人一人が人格者で、哲学者で、科学者で、芸術家で、文学者で、赤銅色の肉体を所有するアスリートで、天まで届く天使の歌を謳うであろう。
 まだまだ前夜だ、と言ったのは、フランスの詩人アルチュール・ランボーだが、人類の夜明けは、もうそれほど遠くない。真岡には、それを教えてくれる3両の「勝利の旗」がある。

(平成二十七年真岡新聞に掲載した拙文です)

●渡辺私塾会長  著述家  渡辺美術館館長   渡辺淑寛

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