小山市役所の西、思川堤防の上に男女の像が建っているのをご存じだろうか?
これは、小山氏の祖・小山政光とその妻寒川尼の像で、2009年10月、小山ロータリークラブが建立、小山市に寄贈したもの。
近くの小山市立第一小学校の6年生の児童は10年前から、この像の清掃活動を続けており、先月29日には小山ロータリークラブから感謝状と記念品が贈られた。
ロータリークラブの代表は、「この像は、小山ロータリークラブ創立50周年事業として、建立したものです。小山第一小学校の6年生の皆さんが、清掃をしてくれていることは大久保前市長からお聞きするまで知りませんでした。建てたままで、その後の事を考えることもなく何もしなかったことを深く反省しております。6年生の皆さんには感謝しかありません。今までありがとうございます。これからもよろしくお願い致します」と感謝の気持ちを伝えた。
児童の代表は、「私たち一小の6年生は、政光・寒川尼像を清掃しています。いつもきれいにされている像には、たくさんの人たちの思いや先ぱいたちがつないでくれた伝統が込められています。これからも歴史と伝統を守っていきます」と話してくれた。
像の台座には説明文がある。「小山政光は、天慶の乱で平将門を誅伐した鎮守府将軍藤原秀郷から七代目の子孫で、12世紀の中頃に 小山氏を名乗り、小山荘の大領主として、源頼朝に従って数々の武功を挙げ、下野国の守護を務めました。
彼の妻は、八田宗綱の娘で頼朝の乳母でした。彼女は夫の逝去後、寒川(河)尼とか網戸尼と称され、安貞2年(1228)2月4日、91歳の天寿を全うされました。幕府の正史『東鑑』には「右大将家並びに弾定二位家殊にこれを重んぜしめ給う」と記されています。
小山一族は鎌倉幕府成立に大きな貢献をし、この後、小山氏は鎌倉幕府の有力な御家人となり、関東屈指の武士団として、400年にわたって栄えました。」
一小の児童たちの思いは、政光公と寒川尼、二人の心にしっかりと伝わっているに違いない。