
小金井宿は、江戸時代に日光街(日光道中)および奥州街道(奥州道中)に設けられた下野国の宿場。現在の栃木県下野市小金井に相当します。日光街道の江戸・日本橋から数えて14番目の宿場です。

「日光街道を歩く」と題された案内板によると、下野市役所周辺は篠原新田といわれ、小金井宿と石橋宿の間に位置しています。『日光道中略記』には、1657年、小金井宿の住民とこの地の住民が力を合わせて、笹の生えた原野を切り開いた、ことをうかがわせる箇所があります。


右と左2本が残っている一里塚はめったに無いらしいです。
(一里塚は、江戸の日本橋を基点として一里ごとに築かれました。小金井一里塚は、その22番目の塚で、江戸から22里の地点であることを示しています。※実際の距離はもう少し長いようです。)

いきなり赤道(あかみち)に到着。赤道とは公図上で地番が記載されていない土地の一つで、かつて道路であった土地のこと。古くから道路として利用された土地のうち、道路法の道路の敷地とされずそのまま残った土地がこれで、国有地です。公図に赤色で着色されていることから「あかみち」と呼ばれています。


麺屋穂華(めんやほのか・下野市笹原59−7)

旧日光街道、自治医大近くのラーメン屋さんです。煮干しベースの和だし醤油ラーメンが美味しいです。化学調味料を一切使っていないらしいです。

●まぎー
食べたり歩いたりが好きなまぎ〜です。好きな言葉は「あいさつ、 へんじ、 えがお」で がんばります。栃木の例幣使街道を考える会の事務局長を務めています。