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2023.03.17

教育・文化芸術・科学コーナー
第10回 エッセイ
「お漏らし小僧とその素晴らしき母」

 あれは、60数年前、私が小学2年生の、冬が忍び寄る晩秋の午後であった。その当時男の子にとって、学校のトイレは、おしっこは普通に利用するのだが、大きい方は何故か利用するのを憚(はばか)られた。理由は今でも分からない。朝は急いでいて時間が無く、ゆっくり家のトイレを利用する暇が無かったので、学校から帰ってすぐ、大きいのをするのが常であった。便意を催してぎりぎりの時も有ったが、いつも何とか間に合って家のトイレに駆け込んだ。 

 しかし、その日は違った。学校から家まで、徒歩で25分程の道のりなのだが、学校を出てすぐ、便意が密かに忍び寄るのを自覚していた。もう道半ばで、我慢が始まった。家まで100メートルぐらいの所で、我,慢も限界に近く、冷たい脂汗が流れ出ていた。便秘気味の方には羨ましく思えるであろうが、脳と脊髄が締め付けられるような、あの独特で純粋な苦しみは、他に例えようも無い刻苦だ。あと家まで20メートルの所で、限界を超え、全身冷たい脂汗の中、堰を切ったかのように溢れ出てしまった。小学2年生にしては、多量で少し固めであった。そして偶然にも見事に二つに分かれ、両足もとの、裾(すそ)の締まった股引(ももひき)の中に収納された。激しい苦痛からの開放感に変わって、「うんち漏らし小僧」という最悪の羞恥心に駆られながら、両足を広げ、がに股でゆっくり家に向かった。

 「おかあちゃん、うんち漏らしっちった」と、針仕事をしていた母に、弱々しく伝えた。私の疲れ切った様子と、がに股の佇(たたず)まいを見て、母は全てを察知したようであった。母は笑いながらトイレに私を連れて行き、股引の中の汚物を上手に落として、次に私をお風呂場に連れて行って体を拭いてくれた。始終笑っていたが、私のしたたるような脂汗をぬぐう時、急に真顔になって、「としぼ、辛かったね、良く我慢したね」と言ってくれた。きかん坊小僧で絶対泣かないと言われた私も、その時は母の胸に顔を埋めて嗚咽を禁じえなかった。もしあの時、大失態を厳しく叱責され、取り返しようのない傷を心に負っていたら、その後は、「お漏らし小僧」と自分を責め続け、心身共に脆弱で惨めな人生を歩んでいたであろう。母の優しい言葉と、母の胸の中の私の涙が、私の傷を綺麗に流し清めてくれたのだ。

 世のお母様方、愛するお子様が、私のような無様(ぶざま)な失態を演じたとしても、決して責めないでほしい。本人が一番傷つき辛いのだから、私の母のように温かい優しい言葉をかけて、包み込んで、我が子の傷を癒やしてほしい。それが出来るのは、お母様だけなのだから。

●渡辺私塾会長 著述家 渡辺美術館館長 渡辺淑寛

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