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「感謝の心を忘れずに、これからも二人で頑張っていきたい」と口をそろえる石崎さん夫妻

「感謝の心を忘れずに、これからも二人で頑張っていきたい」と口をそろえる石崎さん夫妻

2023.01.06

うどんが結ぶ御縁に感謝
“未知の味”求め 夫婦で食べ歩き

 警察官を定年退職し、その1年3カ月後には下野市石橋の自宅隣に「讃岐うどん処 合掌 松屋」を開いた石崎孝雄さん(68)。転身から6年半。〝手造り無添加〟を掲げ、素材にこだわり抜いたうどんは人気を呼び、店は市内外からの多くの客で賑わう。〝未知の味〟を求めて評判の店を訪ねる休日の食べ歩きは今も欠かさず、その研究熱心さは友人から「うどん馬鹿」と評されるほど。食材やガス・電気代の値上がりと厳しい経営環境は続くが「お客さんからの〝美味しかった、また来るよ〟の言葉は私どもの張り合い。応援してくれる人がいる限り、値上げをせずに頑張っていこうと思います」。

 石崎さんは大学卒業後、1978年に県警入り。佐野署を振り出しに矢板署、宇都宮東署、警察本部、小山署などで勤務。ほとんどを防犯畑で過ごした。うどん打ちを始めたのは、NHKのテレビ講座「男の料理」(1987年放映)を見たのがきっかけ。その後は趣味の手打ちうどんとして子どもと一緒に楽しんでいたが、本格的に打つようになったのは2006年から。事件の捜査で本部から佐野署へ7カ月ほど通うことになった。 同署の先輩から「うまいと評判のうどん屋」へ連れて行ってもらい、そこで後に〝師匠〟となる親方と出会った。

 この店に足繁く通ったところ、親方から「趣味でうどんを打っているのなら、これで打ってみろ」とうどん粉を1kg渡された。打ったうどんを持っていくと、親方はいきなり「この下手くそ野郎。どこが手打ちうどんだ」と一喝。これを機に石崎さんは「親方に褒めてもらいたい」一心で、ネットや本で打ち方を研究。うどんを打つたびに親方に見てもらうと、親方は毎回〝目から鱗〟のアドバイスをくれた。「大分うまくなった。もう、持ってこなくていい」。師匠のOKが出たのは7回目だったという。 

 定年退職を5年後に控えたある日。石崎さんが看護師をしていた妻の昌江さんに「退職したら、うどん屋になる」と打ち明けると、妻は「私は絶対やらない」と拒否。それでも粘り強く説得を続け、妻から「私も手伝うよ」の言葉が得られたのは58歳の時だった。

 退職後の道が明確になったことで、石崎さんは開店に向け入念な準備に入った。うどん用小麦粉は3社から10種類取り寄せ、吟味の結果、適度な弾力と旨味に優れた「讃岐プレミアム」を採用。出汁は京都の老舗企業が扱う利尻昆布・鰹節・煮干しに決めた。また県内はもとより、近県で評判のうどん店を妻と一緒に食べ歩いては味を確かめ、本場・香川県に何度も遠征して"うどん店巡礼"をするなど研究を重ねた。

 開店から7年目。店のうどんを気に入った男性客の勧めで2年前からツイッター、昨年からはインスタグラムも始めるなど、SNSにも上手に対応している。石崎さんは「遠方からのお客さんも増えました。ネットでは"うどんもいいが天ぷらも旨い"という書き込みも多く、私以上に真剣に料理の勉強をした妻も喜んでいます」。

 石崎さんは「讃岐うどん処」と店名「合掌 松屋」の間には、「ありがたい御縁に感謝」の思いが潜んでいるという。まずはお客さん、佐野の師匠、技術指導をしてくれた取引業者、同業者…。「うどんが結ぶ様々なご縁があって今があります。これからも感謝の心、お客様第一の気持ちを忘れずにやっていきたい」。