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「スタッフは家族同然」と話す篠崎社長

「スタッフは家族同然」と話す篠崎社長

2023.09.15

「お客さま第一に、地道にやるだけ」
社員には「清く、正しく、美しく。普通の生活を」
人材派遣の株式会社篠崎 篠崎社長

「人材を人財に」「新たな雇用の創造」を掲げ、小山市を拠点に労働者派遣を主体とした総合人材サービス事業を展開する㈱篠崎。コロナ禍で市場が急激に縮小、半導体不足も加わり厳しい経営を余儀なくされてきたが、 新型コロナ感染症の「5類」移行でようやく光も見えてきた。篠崎呈代表取締役社長(59)は「業績はまだコロナ前には戻りませんが、社としては、お客さまを第一に、派遣されていく人たちのことを考え、やるべきことを地道にやるだけです」と力を込める。

 創業者である篠崎社長の父親は、立志伝中の人物。横須賀の米軍基地で働いていた頃、不要になったジーパンを上野のアメ横に持っていったところ飛ぶように売れ、新車のキャデラックを買えるほど儲かった。これで資金を貯め1973年、東京・赤羽で人材派遣の事業を立ち上げた。4年後に故郷・小山に拠点を移し(有)篠崎工業を設立。2015年、現社名に変更した。

 篠崎社長が父の会社に入ったのは27歳の時。それまでは若さゆえの反抗心から「親と同じ道は歩みたくない」と、1部上場の一般企業で働いていた。入社を決めたのは「せっかく掘った井戸を、なぜ埋めようとする。この井戸を活かし、いろいろな物を作り、開拓してみろ。そして次代のために種をまけ」という親の言葉。「まさに正論。目が覚めました」と振り返る。

 42歳で社長に就任。その2年後、世界的な金融・経,済危機「リーマンショック」が起こった。「とにかく社員やスタッフの生活を守るのが先決。銀行からは1銭も借りず、内部留保の5億円をすべて放出しました。2期連続の赤字となりましたが、あの時が社長になって一番苦しかった」と話す。

 その後も東日本大震災、コロナの感染拡大による経済の停滞など、何度も時代の荒波をくぐり抜けてきた。昨年9月には会社として「SDGs(持続可能な開発目標)」を宣言。女性活躍の促進や長時間労働の抑制、省エネ・再生可能エネルギーの活用、コンプライアンス研修や個人情報の保護・管理の徹底などに取り組むことを表明した。よく社員に語る言葉がある。 「清く、正しく、美しく。ほのぼのと普通に生活できればそれでいい。これを守っていれば困ることはない」。

 社長業は65歳が限界と思っている。「一度やってみれば分かりますが、社長の仕事は本当に大変。毎日が修業だね。引退したら小さな喫茶店をやってみたい。そこで毎年、北海道へツーリングに行くバイク仲間と楽しい時間を過ごしたいですね」。謹厳実直そうな顔に、静かな笑みが広がった。

社長室の壁には商才にたけた父の写真が飾ってある